よい音

  モダン楽器に限らず古楽器でも、「良い音」が話題になることがあります。どういう音がよいのか、こういう音がいい、そういう音はよくない、などなど。演奏の評論でも「演奏はよかったが、楽器はよくない」と書かれたものを目にしたこともあります。しかし、おかしな話ですよね?多くの人は「当時の楽器を、当時の奏法とセッティングで、その時代の文化的背景や価値観を踏まえての演奏」の経験や知識が乏しいのに...


 良し悪しを判断するには、対象を正しく理解していなければなりません。理解が十分でない場合に「あれはいい、これはよくない」と言うことは、それはただ「自分は好きだ、好きではない」と言っているに過ぎません。実際、ご本人は評価しているつもりでも、ただ自分の趣味に合わないかどうかということを言葉を変えて言っているだけ、ということが多いように感じます。


 人によって趣味が異なるのですから、個人の趣味について異議を申し立ててもどうしようもありませんが、「(正しい知識と経験に基づいて)評価する」ことと「(知識と価値の内容に関係なく自分の価値観で)感想を言っている」ことは区別しなければなりません。もしある音楽や楽器について評価を下そうとするなら、評価する者は正しい知識と経験が十分に期待されているのですから、そこには責任も伴うでしょう。もし不当な評価を下したなら、誹謗中傷ではない限りにおいて、批判されることは免れないと思います。それは評価という行為に対して向けられる、つまり行為が問題になっているので、何も知らない子供でもなければプロかどうかも関係はないでしょう。


 私たちは何事においても、何かと良し悪しを決めたがる傾向が少なくないように思います。同時に、自分がよいと思っているものをさらに良いものに見せるために、それを利用することすらあるのではないでしょうか(それは軽率であり、厳に慎まなければならないと思います)。そういうことをするのではなく、正しい知識と経験をゆっくり身に着けていき、音楽と楽しき関わりながら人生を謳歌することのほうが遥かに大切ではないでしょうか。


 最後に、今と昔では価値観が違います。今の基準で判断するということ自体、実は誤った行為だと思います。古楽は現代とは違う価値観や美学に触れ、その違いに驚き、なるべく当時の価値観で理解して、それを楽しむということが大切だと思います。現代の価値観に合わせたものは、古楽ではなく、ただのクラシック音楽でしょう。「良い音」はこういうものであると論じるより、当時の「良い音」とされているものはこういうものだったのか、と受け取ることが必要ではないのでしょうか。もっとも、「当時の良い音なんて、大したことないじゃん!」と感じるような人は、古楽に向いていないのではないかと、私は思いますが...

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