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〇〇古楽=非古楽

  トラッド音楽やポピュラー音楽などの要素を取り入れて「○○古楽」を名乗ることがありますが、結論から申し上げれば、それらはすべて古楽ではない。古楽は当時の音楽がどのようなものであったかを探求し、当時のやり方で楽しむことです。○○古楽は、古楽器(と自称するもの)、あるいは18世紀以前の作品を扱うことを、その主張の拠り所としているように見えるが、それは根拠不十分であり、古楽を名乗る資格を全くもっていない、と断言できましょう。  古楽器を使っていれば古楽なのか?ここでは、楽器の仕様や、20世紀の作品も古楽の領域に入ることはとりあえず脇に置いておきましょう。古楽器は「その作品が書かれたか出版された時代の楽器」です。古楽器を使ってビートルズやジブリ、ディズニーなどのアニメ音楽、ゲーム音楽、新たに作曲された作品を「古楽器」で演奏する...現代の作品は言うまでもなく過去に書かれた作品ではありませんし、「新作」が例えば18世紀イタリアの仕様の楽器を想定して書いたとしても、古楽が過去の作品を対象とした探求ですから、その作品は現代の音楽(過去というのはどこまでを指しているのか、それは視点によって様々に考えることができますが、私はガット弦がまだ使われており、楽器の仕様や奏法が19世紀以前の名残がまだ強かったと思われる20世紀の第二次世界大戦前が最も新しい時代と考えます)でしょう。それに、単に古楽器を使ったからと言って古楽を名乗れることは不自然なことです。もともとクラシック音楽の楽器であったピアノでポップスやジャズを弾いたとしましょう。それはクラシックではありませんよね。ヴァイオリンやトランペットは?もちろん、それらはクラシックの楽器を使っただけでクラシックではありません。また別の例えになりますが、いわゆるクラシックの巨匠が演奏したバッハやモーツァルト、ベートーヴェンは「古楽」とは大体の場合みなされませんよね?それはあくまでもクラシック音楽です。  過去の音楽を古楽器以外で演奏した場合はどうなのでしょうか?ちょっと昔にはボカロ古楽というものがありました(今もあるのかもしれません)。音声合成技術を使って、例えばタリスやバードの合唱曲を打ち込んだものです。音声合成技術は当時の音楽や文化には全く関連性がありません。そもそも人が演奏していない。それは音声合成技術を使った音楽ジャンルに含まれ...

よい音

  モダン楽器に限らず古楽器でも、「良い音」が話題になることがあります。どういう音がよいのか、こういう音がいい、そういう音はよくない、などなど。演奏の評論でも「演奏はよかったが、楽器はよくない」と書かれたものを目にしたこともあります。しかし、おかしな話ですよね?多くの人は「当時の楽器を、当時の奏法とセッティングで、その時代の文化的背景や価値観を踏まえての演奏」の経験や知識が乏しいのに...  良し悪しを判断するには、対象を正しく理解していなければなりません。理解が十分でない場合に「あれはいい、これはよくない」と言うことは、それはただ「自分は好きだ、好きではない」と言っているに過ぎません。実際、ご本人は評価しているつもりでも、ただ自分の趣味に合わないかどうかということを言葉を変えて言っているだけ、ということが多いように感じます。  人によって趣味が異なるのですから、個人の趣味について異議を申し立ててもどうしようもありませんが、「(正しい知識と経験に基づいて)評価する」ことと「(知識と価値の内容に関係なく自分の価値観で)感想を言っている」ことは区別しなければなりません。もしある音楽や楽器について評価を下そうとするなら、評価する者は正しい知識と経験が十分に期待されているのですから、そこには責任も伴うでしょう。もし不当な評価を下したなら、誹謗中傷ではない限りにおいて、批判されることは免れないと思います。それは評価という行為に対して向けられる、つまり行為が問題になっているので、何も知らない子供でもなければプロかどうかも関係はないでしょう。  私たちは何事においても、何かと良し悪しを決めたがる傾向が少なくないように思います。同時に、自分がよいと思っているものをさらに良いものに見せるために、それを利用することすらあるのではないでしょうか(それは軽率であり、厳に慎まなければならないと思います)。そういうことをするのではなく、正しい知識と経験をゆっくり身に着けていき、音楽と楽しき関わりながら人生を謳歌することのほうが遥かに大切ではないでしょうか。  最後に、今と昔では価値観が違います。今の基準で判断するということ自体、実は誤った行為だと思います。古楽は現代とは違う価値観や美学に触れ、その違いに驚き、なるべく当時の価値観で理解して、それを楽しむということが大切だと思います。現代...

誠実であること

  学問の世界は日進月歩ですが、古楽の世界も同様です。日本に居て日本語で書かれた情報にばかり接していると分からないものですが、新しい資料の発見や研究成果により音楽の世界は日々更新されています。例えば、18世紀のワイマールでは金属弦の撥弦楽器バンドーラがよく使われていたらしいこと、18世紀イギリスにおいてかつては”最後のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者”と呼ばれたアーベル亡き後も、ヴィオラ・ダ・ガンバは弾かれ続けた(しかも、アーベルがプロフェッショナルな最後のガンバ奏者でもない)こと、今までオリジナルと思われていた楽器が19世紀の贋作だったことなどなど...  研究の最先端にいる専門家、"真の古楽奏者"は、もし自分の考えが誤っていたら躊躇なく訂正しつつ、「当時の音楽はどのようなものであったか」ということを追い求め続けます(それはよく誤解されるのですが「当時の演奏を再現する」というわけでは決してありません。ましてや現代の感覚で「あれは良い、これは悪い」などと決めたり、自分にとって都合が悪いことを無視し、逆に都合が良いことだけをかき集めて"捏造"するのでもありません!)。  古楽は、当時の文化や哲学、美学などを理解し、当時のやり方で音楽に取り組む、ということだと私は思います。それは当時の発想の範囲で即興をするという創造的行為や、当時存在していた多くの可能性の中から選択する自由も含まれています。それは多くの人が思うような教条的なものではなく自由な世界です。これらは行為の問題というよりは態度の問題であり、当時の音楽に対してどれだけ誠実な態度でいるかということであると思います。話題に走ったり、自分はこう学んだからと言って間違ったことを墨守することではありません。音楽を生業にしているとはいえ商売のダシにするのでもなく、「自由」を誤用して「古楽」の名を冠し古楽器で流行りの音楽を演奏したり、音声合成技術を使って昔の音楽を演奏する(それは当時の音楽と何もかかわりがない時点で古楽ではないのですから、古楽を名乗ってはいけないでしょう。それは欺瞞です)のは論外です。当時存在しなかった仕様の楽器を古楽器と称するのも、やってはならないこと(なら、昔の演奏はどうなのかといえば、当時可能な限り調査・研究し実践可能な範囲での結果なら、それは尊重するべきでしょう。そうでは...

安い

  メーカーによりますが、古楽器のレプリカをオーダーした場合の金額は、例えばルネサンスリュートやバロックギターなら50~60万くらい、6弦のバス・ヴィオラ・ダ・ガンバなら100万、フラウト・トラヴェルソなら20万~40万くらいでしょうか。大概はケースはオプションであり、遠方ないし海外のメーカーなら送料が掛かります。ハープシコードなどの鍵盤楽器のような大型の楽器であれば、楽器の価格も送料もそれなりに嵩むものとなるでしょうか。  こういう話をすると「高い」とか「もっと安いのがいい」という声をまあまあ聞きます。ご本人の懐事情もあるのでしょうが、これはよく考えないといけません。「安い」ということには何かしら理由があり、どこかで誰かがしわ寄せを受けるものです。古楽器は手工品ですから、一年間に作れる台数は限られます。それにメーカーにも私たちと同様に生活があるのですが、人並みの暮らしをしようとするなら前記の価格でも安いくらい。本当はもっと高くないとやっていけないでしょう。そういう状況で価格を安くするというのはメーカーに対して「霞を食っていろ」と言っているのに等しいのではないでしょうか。  以前から中国製やパキスタン製のリュートなどが出回るようになりました。それらは一般のメーカーよりも安く、一見すると悪くはないように見えます。けれども、それは当時の音楽や楽器をよく知らない人達がマニュアルに基づいて作っているもので、どんなに工作精度が高くても、どこかに「足りない」ところがあります。それは些細なことではなく、当時の音楽に取り組む上で必ず限界を迎えます。そういう安い楽器ばかり買い求めるという風潮は、「 悪貨は良貨を駆逐する 」という言葉が示す通り、真っ当なメーカーの経営を圧迫し、いずれは古楽器を作る人が減っていき、ついには世界中から消えてしまうかも知れず、文化のためにもよくはないでしょう。  正当な仕事には相応の対価を支払う、それができない人は古楽器を手にしてはいけないと私は思います。安月給で社員をこき使うようなブラック企業のような態度は絶対にいけません。お金に頓着せず、楽器の購入も含めて相当のお金(と時間)がかけられる人だけが、古楽器をやる資格があると思いますし、そうではない人は古楽器をやらないほうが当人のためにも良いと思います。世の中には古楽以外にも様々な音楽や、音楽以外の趣...

18世紀イギリスのテナー・ヴァイオルに関するメモ

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ヴィオラ・ダ・ガンバを持つ若者の肖像 (Jan Verkolje, Public domain, via Wikimedia Commons) ウィリアム・ピアソン(ca.1671-1735)の「The Compleat Musick-Master」に言及あり。初版は1704年で、1722年の第3版も同様。 フレデリック・ヒンツ(1711-1772)がロンドンにおいてバス・ヴァイオルのほか、アルトやテナー・ヴァイオルを制作・販売していた。 キリスト教のモラヴィア兄弟団は礼拝にシターンや小型のヴァイオルを用いていた。 18世紀イギリスにおいてヴァイオル・コンソートが演奏されていた形跡は現時点でなし。 アン・フォードやカール・フリードリヒ・アーベル、アーベルの弟子がヴァイオルを演奏していたが、当時のイギリスにおいてヴァイオルは珍しい楽器、エキゾチックな楽器と考えられていた。 イギリスの音楽学者Peter Holman氏によると、アルトやテナーサイズの小型のヴァイオルは、現代のハーフサイズ、3/4サイズのチェロのようなものではないか?とのこと。 ※Boydell Press出版、Peter Holman著『Life After Death: The Viola da Gamba in Britain from Purcell to Dolmetsch』、P147-148より。 漠然と思うこと  テノール・ヴァイオルが指定された曲集は確認できていないが、礼拝音楽の伴奏以外では他の楽器の曲や、楽器指定がない曲を弾いていた?  音域は(6弦)バスと異なるが、その広さは同じ。最低音はG2まである。もっとも、それほど低い音がなくても通奏低音は成立するから、最低音や音域はあまり関係ないか。  バスとして使われたと思われるヒンツのテノール・ヴァイオルには鉄製のフレットが当初から備えていたものがある。巻き弦も使ってバス・ヴァイオルと同じ音域にセッティングしたのか。

18世紀のヴィオラ・ダ・ガンバ(その2)

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  ボストン美術館所蔵の様々なサイズのヴィオラ・ダ・ガンバ(By Pacamah - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=141993216)  以前からヴィオラ・ダ・ガンバの入手を考えていましたが、それは6弦のバスでした。私は18世紀のイギリス音楽が好きであり、語学の問題と、私の性質―限られた領域に専念しなければ気が済まず、あまり色々と手を広げることが嫌い、めんどくさがり屋、不器用、置き場所等々―の要請から、やはりそれは18世紀のイギリスに関係し、扱いが容易である必要があります。6弦のバスは、7弦のバスよりもとっつき易いように思われ、ソロにもアンサンブルにも使えます。レパートリーは7弦の曲をちょっとした工夫で弾くことができるものもあるのですが、7弦の楽器は現れた後もずっと6弦の楽器が作られ続けたことから、それはひょっとするとヒストリカルなアプローチでもあるように思われます。フランスのヴィオル(ヴィオラ・ダ・ガンバの仏語名。英語だとヴァイオル)曲は18世紀にイギリスへ輸入されていたようですし、時代は少し遡りますが、サント=コロンブの息子ジャンは渡英してダラムで活動していましたから、イギリスにも十分関係しています。また、ドイツから渡英してバッハの末息子クリスティアンと組んで活躍したアーベル、さらに彼の弟子の作品も6弦で演奏できるものがあります。それらのことを考えると、バロックリュートにおける11コースのように、6弦のバス・ヴィオラ・ダ・ガンバは7弦よりも扱いやすく、汎用性もあり、ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器の中ではベスト・チョイスのように思われます。  しかし、実際にはそうでもない(少なくとも私にとっては)のでした。  まず、楽器が大きいこと。小さめの楽器でもバスくらいの大きさの楽器を脚に挟み、弦を押さえるのはちょっとしんどいものがあります。ハードケースに収納すると結構嵩張り、パッと見ると小学生低学年くらいの存在感があります。私はすでに多く楽器を所有しているので、さすがにこれほどの大きさの楽器を保管するのは避けたいというか、邪魔です。  次に、低音が響きすぎること。コンサートやセッションで接したときのバスの響きを思い返してみると結構デカく響きます。ソロ...

低音

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  コレッリのヴァイオリン・ソナタOP.5の表紙。通奏低音は「ハープシコード”または”ヴィオロンチェロ」と記載されている。(1740年頃のロンドンでジョン・ウォルシュが出版した版より。)  現在、17世紀や18世紀の室内楽曲を演奏する際、通奏低音はハープシコードやオルガンといった鍵盤楽器に、チェロやバス・ヴィオラ・ダ・ガンバ、ファゴットなどの低音旋律楽器を加えることは少なくないのではないでしょうか。そこにテオルボやアーチリュート、ギターなどの撥弦楽器を加えたり、鍵盤楽器を二台に増やしたり、ヴィオローネを入れたりする場合もあるようです。 日本語版Wikipedhiaの通奏低音の記事 には、「通奏低音の演奏には、オルガン、チェンバロなどの鍵盤楽器や、リュート(テオルボ)、ハープ、ギターなどの撥弦楽器といった和音の出せる楽器が用いられ、しばしばヴィオラ・ダ・ガンバ、チェロ、ヴィオローネ、ファゴットなどの低音旋律楽器が併用される。」とあります。しかし、実際には低音旋律楽器が用いられるのは、規模が大きいアンサンブルなどで低音を補強するためくらいのもので、何らかの効果を狙ったものや、曲の構成上必要な場合(先ほどご紹介したWikipediaの通奏低音の記事にも「イギリスのP.ホールマンによれば「(17世紀初期の)ソナタでこれらの楽器が使われたのは、音楽がオブリガートのバス・パート(コンティヌオのバス・ラインより手がこんでいる)を含むときだったと思われる」という」とありますね)くらいで、大体は専用のパート譜が用意されていました。この記事にある画像は有名なコレッリのヴァイオリン・ソナタの当時の出版譜の表紙ですが、今日日(きょうび)この曲の通奏低音はハープシコードやオルガンのほかにヴィオロンチェロを加えて演奏することがままあります。実際は鍵盤楽器かヴィオロンチェロのどちらかだけで演奏する(イタリアの初版も「ヴィオローネ”または”チェンバロ」という指定)もので、 イギリスのアンサンブル”トリオ・ヴェラチーニ”の演奏 では、曲によって通奏低音はヴィオロンチェロだけ、ハープシコードだけで演奏し、ラ・フォリアでは、それぞれの楽器だけで通奏低音を弾いたものを収録しています。個人的な感想ですが、一つの楽器だけで通奏低音を弾くことで曲の構造、和声進行がクリアになり、曲の良さが最も感じられるの...